ただ好きだという、この気持ち。

□ 今だけ在ればいい。 □

ありふれた風景2

 不明熱で転院してきた患者は、Wさんと同じ病室に一時的に入室することになった。本来の診療科の病室が空き次第、転棟の予定だ。
 あの病室を、というよりWさんを、長谷川が定期的に訪室しているのを向井は知っている。診療のためというよりむしろ、彼女の求めに応じる形で。

 今日も件の病室から一人出てきた長谷川は、廊下の壁にもたれて立っていた向井に驚いた表情で立ち止まった。
 だが、端正なその顔にはすぐに、いつものアルカイックスマイルが浮かぶ。

「お疲れ様です」
 その挨拶には顎の先を動かしただけで、向井は壁から背を浮かすと先に立って歩き出した。当然のように長谷川がついてくる。右斜め三十度の距離を保って。

「・・・またWさんか」
 前方を向いたまま低い声で訊いた向井に、長谷川は淡々とした声音を返してくる。
「アプリの設定の仕方を訊かれてたんですよ」
「・・・ふーん」

 判ってますよ、と長谷川は言う。
「患者に必要以上に入り込むなっていうんでしょう? ・・・でも彼女はそんなのじゃありません」
「じゃあ、」
 向井の声は無意識に低くくぐもった。
「どういうんだ? 彼女は、・・・おまえにとって」

 足を止めた向井の斜め後ろで、長谷川も歩を止める。
 肩越しに振り返った向井の視線を静かに受け止め、長谷川は口元だけで微笑ってみせた。

「そんな言い方、・・・まるで妬いてくれてるみたいに聞こえますよ。Wさんの年齢は先生だってご存知でしょう?」
「ああ、68歳4ヶ月な。知ってるよ。ついでに、彼女がおまえの姿を認めた瞬間にどんな顔をするのかも」

 声を抑えているだけに腹立たしげな色が露な向井の声音、そして表情。
 一瞬だけ、長谷川は目を見開いた。しかしそれはすぐに、切なげに細められる。
「・・・それを言いたいのは僕の方ですよ。20代のナースや患者さんにいつも付きまとわれてデレデレしてるあなたに、祖母くらいの年齢の女性患者を訪室するくらいのことでとやかく言われたくありませんね」
「おい、誰がデレデレしてたって?あれは診療の、」
「一環としてのコミュニケーション。判ってますよ、だから僕だって我慢・・・」

 その時、向井の院内phsが鳴った。睨み合う形のまま、2人は動きを止める。
「電話ですよ」
 言わずもがなの言葉に、向井も短く答えた。
「判ってる」
 それからphsの通話ボタンを押して耳に当てた。最小限の相槌だけを返しているその横顔に、長谷川はしばし見入る。

 この人は何も判ってない、と思う。本当に何も判ってない。俺の気持ちなんか、全然。
 嫉妬めいた先刻の言葉、・・・単なる言いがかりにすぎないし、そんな難癖をつけられる筋合いはないと心底苛立つ。だが同時に、俺の中にどうしようもなくあふれる思いがある。
 ・・・ぞくぞくするような、それはひどく暗い色をした歓びだ。もっと独占されたいなんて、気付いたら願っている。我ながら虫酸が走る。でもどうにもならない。こんな感情、あなたはきっと判っていない。

 一方の向井は、長谷川のことなど忘れてしまったかのように見えた。phsに向かって一言二言短い指示を出し、言い添える。
「すぐ行く」

「・・・じゃあ失礼します」
 長谷川は視線ごと顔を背け、向井のそばをすり抜けようとした。が、
「長谷川」
 phsを切りながら、向井は長谷川を呼び止めた。肩越しに振り返った長谷川に、向井は不機嫌なままの口調を投げる。
「おまえとももっとコミュニケーションが必要みたいだから、飲みに行くぞ。今夜あたりどうだ?」

「今夜、ですか?」
「当直か?それともカンファか何か入ってるか。だったらそれが終わってからでいい」

 ・・・全くこの人は。その思いが、長谷川の口元に微笑を刻ませる。思い立ったら即実行、猪突猛進の典型だ。治療では万全を期して除外診断を重ねていくタイプなのに、全然違う。・・・プライベートでは。

「当直でもないし、予定も特にありません。どの患者も容態は安定していますし。・・・先生に同行しますよ」
 そして、ゆっくりとこう言った長谷川に、向井もようやく笑う。よし、と言いたげに。
そ れから向井は我に返り、慌ただしく歩き出した。そうしなからも、振り返ってこう言う。
「また連絡する。今夜、絶対だからな?他に予定入れたりするなよ?」

 互いに医師である以上、こういう約束は守られるとは限らない。互いにそれは承知の上だ。
 それでも、長谷川はもう一度微笑み、頷いた。
 向井も短い笑みを返して、今度こそ足早に歩き去っていった。
 白衣のその背中を見送りがら、長谷川は思っていた。
 いつもこうやって、俺はあの人の背中を見送ってばかりいるけど。
 向い合わせや隣合わせで話せる時は大概、カルテや検査値や文献が間にあるけど。

 今夜は違う。白衣を脱いだ生身の彼を、何の夾雑物なく見つめていられる。
 一本気で少し子供っぽくて、そのくせ残酷なくらい無自覚な、プライベートの彼を、独占できる。
 今夜だけ。
 あなたは俺のものだ。

-end-



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Date:2014/06/21
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