ただ好きだという、この気持ち。

□ 読み切り □

スローバラード(8)

 ピアノ教室。進藤が教えていたという。
 そこに足が向いたのは、叶わない想いを紛らわしたいという弱音のようなものだったと自分で判っている。あるいは単なる代償行為。何でもいいから進藤とつながっていたいという、ただのナルシシズム。

 進藤と出逢ってから二ヶ月が過ぎようとしていた。それまでの間に飛鳥は、その教室についてすっかり調べ上げていた。
 楽器店が主催しているということも、本店ビルの二階で週に四回――昼間二回、夜二回――開かれていることも。
 でも、そこに生徒として入会してしまうことは、想定外だった。

 ピアノを持ってないって言ったら、向こうから断ってくれると思ったのになあ。
 飛鳥はため息混じりにそう思う。ちなみに現在の住居は1Kの賃貸マンションで、独居。間取り的にも家賃的にも、独身者対象のマンションだ。
 当然ながら、ごく一般的な防音設備しかされていない。だから、というかそれ以前に金銭的問題でピアノなんか中古でも買えない。
 そういう次第なので、練習はもっぱら紙に書いた鍵盤プラス鼻歌でしている。
 
 って子供かよ。
 自分で突っ込みたくもなるが、件の教室は楽器店主催だけあって、練習室というものを設置している。それも二部屋。
 そこに置いてあるアップライトピアノは、教室の生徒であれば無料で練習可能だ。予約は必要だし、一枠一時間という制限はあるにしろ。

 それに、あの教室ではCD-Rを貸してくれる。中身は、テキスト収録の練習曲。教室の講師が弾いたという。
 この存在は大きかった。暇があればずっと聴いて、耳で覚えながら不慣れな譜面を追った。
 プレイヤーから聞こえてくるピアノの音はいつも優しく、やわらかかった。微笑んでいるみたいだ、と聞くたびに思った。目には見えない手が自分の手に重なり、介添えして、導いてくれる気がした。

 ねえ進藤さん、と飛鳥は時々、胸の内だけで囁いてみる。
 よく知ってると思うけど、教室の方針で『こどものバイエル』下巻からスタートしましたよ。これ、黄バイエルっていうんですってね。
 今の課題曲は四十五番。そうです、二曲目です。一曲目の44番はこの間マルをもらいました。ド素人が仕事の合間に、しかも紙の鍵盤で練習してる割には、俺、順調なんじゃないですか?

 でも言わない。
 絶対に言えない。
 進藤さんに習ってみたかった、だなんて。
 口が裂けても――

 自分でもちゃんとそれは判っていたし、病院内ではもちろん進藤の前でも、作業療法士としてのスタンスを守れた自信がある。
 なのに、罰は下った。
 進藤の病状が後退したのだ。正確には、何クール目かの化学療法による重篤な副作用発生。よってリハビリはしばらく中断。主治医からそう連絡が入った。
 ごめんなさい、と飛鳥は何度も、何度も繰り返した。もちろん仕事中は普段通りを心がけたし、罪滅ぼしのつもりでそれを貫いたけれど、部屋に帰ってから時々べそべそ泣いた。
 非科学的だと判っていても、繰り返さずにいられなかった。

 ごめんなさい。
 俺が好きになんかなったから。
 ピアノ、習ったりしたから。
 俺がピアノに触ったりしたから。進藤さんはもう弾けないこと、知っててそんなことしたから。
 ……ごめんなさい。
 
 


→ BACK
→ NEXT

にほんブログ村 トラコミュ 大人のためのBL、MLへ
大人のためのBL、ML
にほんブログ村 トラコミュ オリジナルBL小説・・・ストーリー系へ
オリジナルBL小説・・・ストーリー系



*拍手クリックで御礼SSに飛びます。
ぽちっと楽しんでいってくださいませ♪

*このお話が気に入ってくださった方はこちらも是非ぽちっと♪
ありがとうございます、大変励みになってます!

*    *    *

Information

Date:2015/12/07
Trackback:0
Comment:0

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする

Trackback

TrackbackUrl:https://kisschoko.blog.fc2.com/tb.php/547-94ce267f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)